大圓院は、延喜年間(九〇一~九二三)聖宝理源大師により開創されたお寺です。
もとは多聞院といいましたが、柳川藩(現在の福岡県柳川市)初代藩主、立花宗茂公の法号「大圓院殿松隠宗茂大居士」の院号を頂いて大圓院という寺名に改めました。
当院は豊前豊後の守護職大友能直(よしなお)公(1172-1223)が当院に帰依し師檀の契りをなして以来、その十六代の孫、戸次鑑連(べっき あきつら)公(1513-1585、筑前立花山城主、立花道雪入道)も当院に傾信が深かった。特にその婿養子、立花統虎(むねとら)公(1567-1642、のち宗茂と改名、高橋紹運公の嫡男)は、天正年間、高野山に御登山になり、当院の宣雄阿闍梨に帰依した。文禄
元年(1592)には道雪・紹運両公の霊牌と宝塔を建立して師檀の契りを結んだ。この宗茂公は武将として剛勇の士であり、豊臣秀吉公は「忠義も武勇も九州随一」「天下無双の大将」と宗茂公を讃えたと言われました。
「一の橋」から「弘法大師の御廟」へと続く奥の院の参道には20万基をこえる供養塔がたっていますが、そのうちの大円院墓地には、立花宗茂公、山内一豊公、石田三成公などの供養塔があります。
大円院は以下の寺院を兼務しています。
徳善院 (寛治2年 1088随音僧都によって創建された)
正覚院 (永保3年 1083僧一律師によって創建された。土佐山内一豊公や横須賀藩
西尾候と檀盟を契り霊牌を安置す)